【弁護士が解説】民法509条「悪意による不法行為」とは?相殺禁止の範囲・故意との違いも詳しく解説
「民法上の不法行為を行ってしまったが、相手に対しお金を貸している。この場合、賠償金と借金は相殺できるのか?」
このような悩みをお持ちの方は少なくありません。特に2020年4月の民法改正により、加害者側から相殺を主張できる範囲のルールが変わりました。
その鍵となるのが、相殺が禁止される要件として定められた「悪意による不法行為」です。では、この「悪意」とは、単なる「故意(わざと)」とはどう違うのでしょうか?
本記事では、この重要なポイントについて、法改正の経緯も詳しく踏まえながら、弁護士が分かりやすく解説します。

1 民法改正の内容
令和2年4月1日に施行された改正民法(平成29年法律第44号による改正後のもの)509条1号は、「悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務」を受働債権とする相殺が禁止である旨を規定しています。
改正前の民法509条は、「債務が不法行為によって生じたときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。」として、不法行為債権を受働債権とする相殺を全て禁止していたところ、相殺が禁止される範囲が限定されたといえます。
2 「悪意による不法行為」とは何?
では、改正民法509条1号の「悪意による不法行為」とは何を指すのでしょうか。
この点について、法改正の経過を踏まえると、「悪意による不法行為」は破産法253条1項2号の「悪意で加えた不法行為」と同様、積極的に他人を害する意思をもってした不法行為を指すと解されます。
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3 法改正の経過
少し細かな話になりますが、「悪意による不法行為」が何を意味するのかについては、法改正の経過を参照する必要があるため、以下のとおり概観します。
ポイント
なぜ改正されたか?
→ 全ての不法行為で相殺を禁じるのは行き過ぎではないか、という問題意識から。
どう決まったか?
→「損害を与える意図」という言葉が、破産法253条1項2号の「悪意(=積極的な害意)」と同じ意味だと説明された上で、「悪意」という言葉に決定された。
3.1 法制審議会民法(債権関係)部会第8回会議
改正前民法509条は、以下の2つの理由による規定とされていました。
①被害者の損害を現実に填補することによる被害者の保護
②不法行為の誘発の防止
しかし、上記理由からは不法行為債権を受働債権とする相殺がすべて禁止される必然性がなく、相殺による簡易な決済が過剰に制限されているのではないかとの指摘がありました。
そこで、不法行為債権を受働債権とする相殺が禁止される範囲について、上記理由が妥当する範囲に限定すべきであるとの考え前提として、次の2つの案が示されました(部会資料10-2)。
【A案】
民法509条を維持した上で、当事者双方の過失によって生じた同一の事故によって、双方の財産権が侵害されたときに限り、相殺を認めるという考え方
【B案】
民法509条を削除し、以下のいずれかの債権を受働債権とする場合に限り、相殺を禁止するという考え方
(1)債務者が債権者に損害を生ぜしめることを意図してした不法行為に基づく損害賠償請求権
(2)債務者が債権者に損害を生ぜしめることを意図して債務を履行しなかったことに基づく損害賠償請求権]
(3)生命又は身体の侵害があったことに基づく損害賠償請求権((1)及び(2)を除く。)
関連リンク:
・部会資料10-2|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第8回会議(平成22年4月27日開催)|法務省Webサイト
3.2 法制審議会民法(債権関係)部会第46回会議
3.1で示された【A案】、【B案】の考え方を前提として、以下の案が示されました(部会資料39)。
【甲案】
民法第509条を維持した上で,その例外として,当事者双方の過失によって生じた同一の事故により,双方に損害(ただし,生命又は身体の侵害に基づく損害を除く。)が生じた場合には,相殺することができる旨の規定を設けるものとする。
【乙案】
民法第509条を削除した上で,以下のいずれかの債権を受働債権とする場合に限り,相殺を禁止する旨の規定を設けるものとする。
①債務者が債権者に損害を生じさせることを意図してした不法行為に基づく損害賠償債権
②債務者が債権者に損害を生じさせることを意図して債務を履行しなかったことに基づく損害賠償債権
③生命又は身体の侵害があったことに基づく損害賠償債権
【丙案】
民法第509条を維持するものとする。
関連リンク:
・部会資料39|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第46回会議(平成24年5月8日開催)|法務省Webサイト
3.3 「民法(債権関係)の改正に関する中間試案」(平成25年2月26日決定)
3.2の【乙案】を前提として、以下の中間試案が示されました。
【中間試案】
民法第509条の規律を改め,次に掲げる債権の債務者は,相殺をもって債権者に対抗することができないものとする。
(1)債務者が債権者に対して損害を与える意図で加えた不法行為に基づく損害賠償債権
(2)債務者が債権者に対して損害を与える意図で債務を履行しなかったことに基づく損害賠償債権
(3)生命又は身体の侵害があったことに基づく損害賠償債権
関連リンク:
・「民法(債権関係)の改正に関する中間試案」(平成25年2月26日決定)|法務省Webサイト
・民法(債権関係)の改正に関する中間試案【PDF】
3.4 法制審議会民法(債権関係)部会第79回会議
中間試案に対するパブリックコメントとして、「損害を与える意図」という概念が不明確であって、要件として不適切であるという指摘がなされました。
これに対し、立法担当者は、「ここでいう「損害を与える意図」とは、破産法第253条第1項第2号の「悪意」を書き下す趣旨で用いたものであり、同号の運用をめぐる実態について特段の問題が指摘されているようには思われないことからすると、少なくとも不法行為との関係でこの要件が適切ではないという批判は、適切かどうか疑問がある。」として、中間試案の「損害を与える意図」が破産法253条1項2号の「悪意」と同義であると述べています(部会資料69B)。
関連リンク:
・部会資料69B|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第79回会議(平成25年10月29日開催)|法務省Webサイト
3.5 法制審議会民法(債権関係)部会第92回会議
第92回会議において、以下の改正案が示されました。
【部会資料80-3案】
民法第509条の規律を次のように改めるものとする。
次に掲げる債権の債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。
(1)債務者が債権者に対してした悪意による不法行為に基づく損害賠償請求権
(2)債務者が債権者に対してした人の生命又は身体の侵害に基づく損害賠償請求権((1)に該当するものを除く。)
立法担当者は、上記案文について、「素案(1)では、悪意による不法行為に基づく損害賠償請求権に限って相殺を禁止することとしている。民法第509条の文言について、同条の趣旨に照らして相殺の禁止の範囲が広すぎるという批判があることを考慮し、不法行為をした加害者は相殺による保護を受けるに値しないという趣旨や不法行為の誘発防止という趣旨からは、積極的に他人を害する意思をもって不法行為をした場合における損害賠償請求権のみを相殺禁止とすれば足りると考えられるからである。」(部会資料80-3)と述べています。
そのため、「悪意による不法行為」とは、「積極的に他人を害する意思をもってした不法行為」を指すと解されます。
関連リンク:
・部会資料80-3|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第92回会議(平成26年6月24日開催)|法務省Webサイト
3.6 法制審議会民法(債権関係)部会第96回会議、第99回会議
第96回会議において、以下の改正案が示されました。
【部会資料83-2案】
民法第509条の規律を次のように改めるものとする。
次に掲げる債務の債務者は、相殺をもって債権者に対抗することができない。
ただし、その債権者がその債務に係る債権を他人から取得したものであるときは、この限りでない。
(1)悪意による不法行為に基づく損害賠償に係る債務
(2)人の生命又は身体の侵害に基づく損害賠償に係る債務((1)に該当するものを除く。)
そして、その後、第99回会議において示された案文が現行法となっています。
関連リンク:
・部会資料83-2|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第96回会議(平成26年8月26日開催)|法務省Webサイト
・部会資料88-1|法制審議会民法(債権関係)部会
・法制審議会民法(債権関係)部会第99回会議(平成27年2月10日開催)|法務省Webサイト
・法制審議会民法(債権関係)部会 審議事項・部会資料・議事録一覧
※本記事では民法509条1号「悪意による不法行為」について解説いたしました。
しかし、実際の事案では個別具体的な事情により法的判断や取るべき対応が異なることがあります。
そこで、法律問題についてお悩みの方は、本記事の内容だけで判断せず弁護士の法律相談をご利用いただくことをお勧めします。