状況
父の死後、Jさんと母は相続手続のために金融機関を訪れました。
そこで担当者から、「Jさんと弟が相続放棄すれば母が遺産を全て相続でき、配偶者控除により相続税を節約できるため、相続の方法としては最善である。」と説明されました。
この助言に従い、Jさんと弟は相続税の節約を目的に、父の遺産を全て母に相続させることにし、速やかに相続放棄を行いました。
後日、Jさんと母が再び金融機関を訪れたところ、別の担当者から「Jさんらの相続放棄により、父の兄弟が相続人となるため、彼らの署名捺印がなければ預貯金の解約ができない。」と告げられました。
この事態に驚いたJさんと母は、家庭裁判所の窓口で相談しました。
裁判所の担当者からは、「Jさんと弟は相続放棄の取消しを検討する必要がある。」、「相続放棄の取消しは難しい手続であるため、相続問題に詳しい弁護士に依頼する方が良い」との助言を受けました。困惑したJと弟さんは、相続問題に精通した弁護士を探し、当事務所に相続放棄の取消しをご依頼されました。
弁護士の活動
1 資料収集
まず、弁護士は、Jさんご兄弟が誤解に基づいて相続放棄を行った事実を裏付ける資料の収集を開始しました。
はじめに金融機関の担当者の初回説明時の資料やデータを収集しようとしたのですが、担当者の説明は資料に基づかないものであり、Jさんらの手元には何も資料が残っていませんでした。
そこで、弁護士が家庭裁判所で相続放棄時に提出された資料一式を謄写したところ、謄写した記録には相続放棄の理由として「遺産を分散させたくないため」と記載されていました。
この記載は、Jさんご兄弟が相続放棄により父の遺産が母に集中すると認識していたことを示しており、Jさんご兄弟が錯誤に基づいて相続放棄していたことを裏付ける資料といえました。
2 相続放棄の取消申述
弁護士は、「Jさんと弟は、金融機関の担当者の説明により、①自身らが相続放棄を行えば母のみが相続人となり遺産をすべて取得できるとの錯誤に陥っていた上、②発生する相続税額の多寡についても真実に反する錯誤に陥っていた。そして、上記錯誤は、相続放棄により事実上及び法律上影響を受けるJさんらの母に伝えられていたのみならず、相続放棄申述書等により家庭裁判所にも表示されていた。」として、Jさんご兄弟からご依頼いただいてから約1週間後に家庭裁判所へ相続放棄取消申述書を提出し、相続放棄を民法第95条第1項に基づき取り消しました。
その結果、申述書を提出してから約3週間後には相続放棄の取消申述が家庭裁判所に受理されました。
ポイント
1 相続放棄の錯誤取消しの可否
相続放棄を行った動機に錯誤がある場合には相続放棄を取消しできる可能性があります。
具体的には、①法律行為の基礎となった事情について、その認識に真実に反する錯誤があり、かつ②上記事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていた場合において、③錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときには、④家庭裁判所にその旨を申述することにより、相続放棄の錯誤取消し(民法第95条第1項)が可能です。
今回のケースでは、Jさん兄弟は、①自身らが相続放棄をすれば母が唯一の相続人になるとの認識で相続放棄を行ったところ、当該認識には真実に反する錯誤があった上、②相続放棄申述に際して上記認識が表示されていたといえます。
また、母が唯一の相続人となるか父の兄弟も相続人となるかという点は、母が相続する遺産額に影響する上、将来的な母の相続の際にJさん兄弟が相続する母の遺産額にも影響することから錯誤が社会通念に照らし重要なものともいえました。
そこで、今回のケースでは相続放棄の取消申述が受理されています。
相続放棄の錯誤取消しの要件、効果、相続放棄と錯誤に関する裁判例などについては、詳しくはこちらのQA「相続放棄は取り消せますか?」をご参照ください。
なお、相続放棄の取消しが受理されたとしても有効性が確定するわけではない点には注意が必要です。
2 錯誤に基づいて相続放棄を行ったことを裏付ける資料の収集
(1)資料収集の重要性
相続放棄の取消申述を行う場合、その前提として取消原因が存在することを証明する資料を収集する必要があります。
取消原因に関する資料収集が不十分な場合には家庭裁判所が相続放棄の取消申述を受理しない可能性がある上、事後的に相続放棄の取消しの効果が争われやすくなるため注意が必要です。
(2)財産の持ち戻し
相続放棄について錯誤取消しをしようとする場合においては、主に以下の資料が証拠となり得るものと考えられます。
・相続放棄を行った際の相続放棄申述書
・動機を有するに至る第三者の説明に関する資料
・相続放棄に関する相続人間での話合いの内容が分かるメール、LINEなど
上記のような資料がない場合には「他の相続人や自身の陳述書」などにより相続放棄取消申述を行うことを検討する必要があります。
3 相続税との関係
相続財産が多い場合には相続税の税額や支払方法を検討する必要がありますが、適切な専門家等に相談をしないと誤った対応をしてしまうことがあります。
今回のケースでは、相談先の担当者の説明どおり、父の遺産を母がすべて相続すると相続税の配偶者控除を受けることでいったんは相続税が生じないという点は間違いではありませんでした。
しかし、母が父の遺産を全て相続した場合、将来的な母の相続発生時により高い税率が適用されることで、むしろJさん兄弟が支払うことになる相続税の総額が増えてしまう可能性がありました。
上記リスクを十分に検討した上であえて父の遺産を全て母に相続させるとの判断を行ったのであれば問題はないのですが、Jさん兄弟はこのリスクを認識しないままであったため適切な対応を取れていたとはいえません。
このような事態を避けるためには、相続問題については適切な専門家等に相談をする必要があります。
相続問題にはいろいろな問題が内包されているためなかなか相談先が分かりづらい面がありますが、当事務所では相続に関する法律相談はもちろん、相続問題に付随する相続税や相続登記について適切な専門家のご紹介等も行っておりますので、相続問題でお困りの場合はまずはお気軽にご相談ください。
※掲載中の解決事例は、当事務所で御依頼をお受けした事例及び当事務所に所属する弁護士が過去に取り扱った事例となります。